てさんのよりのメッセージです。
名前: て
本文:
川俣さん。こんばんは。
昨日の『ブラタモ』に少しヒントをもらいました。
『甲州街道の新宿追分のカーブは、玉川上水を通す為に甲州街道を後から変更した?!』と、出てきました。
玉川上水は、甲州街道が整備されて約50年後に開通しています。
都市計画で整備された甲州街道が、予想以上の人口増加で、たった50年で、最適な場所を流れる玉川上水の為に、場所を明け渡しています。
そう考えると、元々の甲州街道ルートと現在のルートは、それ自体、そして高井戸宿でも怪しくなってくのでは…。
特に玉川上水の近くの状況は…
50年間と、その以前が興味をそそります。
実はそこはテレビで見ていました。
水は坂を上がれないので、水のために街道が遠慮して移動した可能性はいろいろ考えられます。稜線上の軍事道路にしては高低差的に不自然な箇所が確かにいくつかあって、そこは玉川上水の都合で街道の方が移動した可能性があります。
高井戸宿に関しては地形的にあまり大規模な改変を想定しにくいのですが、中高井戸への移転組を含めて大きな変化があった可能性があります。
とはいえ、史料らしい史料が何も無く、ほとんど想像の域を出ません。